第16回受賞者のことば
■大賞「羽釜」高野ユタ
第16回で大賞をいただいてから、お城に越したシンデレラもこんな気持ちかなと思うくらい、いまだに現実味がありません。または、一般人なのに何万石もの領地を任されたような、そんな気分でもあります。
受賞に至った「羽釜」という作品は、アイデアに対してどの結びがよいかと迷いに迷った作品でした。完成形に至るまでは、シュールなオチや格言めいたオチ、楽しいオチ、いろいろな分岐が頭の中でぐるぐると回っていました。
ショートショートを書かれるみなさんはおわかりだと思いますし今さらだと思いますが、ショートショートの展開は無限です。誰かの作品を読んだときにも、「自分だったらこのアイデア、こう展開するな」と感じた経験のある方もいるかもしれません。
さまざまに広がる選択肢の中で、私は一番ぴったりくる相手を見つけるため仲人よろしく世話をやきます。そうしてぴったりの相手と出会うとすべてがパタパタとはまっていって、あるべき形に辿り着いたような感覚がします。私はその瞬間がとても好きです。
考え方の数だけ、物語は分岐します。自分のショートショートはこれだ!というものを突きつめて、思う存分4000字に極彩色を溢れさせてほしいなと思います。
■佳作「思い出カジノ」眞山マサハル
この度は思いがけず大きな賞を頂き、光栄に存じます。審査員の方々をはじめ、今日まで賞を運営して来られた松山市ならびに事務局の皆様に御礼申し上げます。
拙作は、ファロというカード賭博を軸に、人の記憶について展開する物語です。4,000字ならと軽い気持ちで挑戦したものの、なにぶん初めての小説執筆であり難渋しました。当初、漠然と記憶をテーマに据えようと考えていましたが、面白くするには何かが足りない。懊悩の中、ウラジオストクで『スペードの女王』のオペラを観たのが転機になりました。ロシア語を知らないにもかかわらず、劇中のファロの勝負に異様な迫力を感じることができ、閃いたのです。言葉の壁すら超える賭博の妖しさと記憶を結びつけたら、魅力的な筋になるのでは? このアイデアに力を得て一気呵成に書き上げました。
ショートショートの生命は、ちょっとしたアイデアであり、アイデアを見出すアンテナは誰にでも備わっていると私は信じています。実践の中に身を置けば、やがてアンテナが動き出すはずです。小説初挑戦の方も、まずは1行、書かれてみてはいかがでしょうか。それがあなたの文学の入口になるかもしれません。
■佳作「今夜だけスーパースター」草間小鳥子
私は普段、現代詩を書いています。ショートショートを書いたのは、実は5回目くらい。ですから、ショートショートを書いた経験が少ない方でも、臆せず応募してみるといいと思います。
「アイディア」を「作品」として成立させるためには、キャラクター造形や、物語が展開される背景を綿密に設定することは勿論、読者へ伝える過程も重視すべきだと感じます。具体的には、文章、語り口です。
詩作においても同じことが言えるのですが、ご自身の発想や世界観をそのままの熱量で読者へ伝えるために、単語の使い方や文章構成に気を配ることをおすすめします。使い古された表現でないか、比喩を多用していないか、本当にその語彙がぴったりなのか、説明的になり過ぎるあまりテンポが損なわれていないか、一文が長いために勢いを欠いていないか……。短いものなら、なおさらです。みなさん、素晴らしいアイディアをお持ちなのだと思います。文章で損をしないためにも、いま一度、「伝え方」という側面から、作品を見直してみてはいかがでしょうか。
そして最後に、仔細に練り上げた背景や、こだわり抜いた文章表現、作者の感慨などは、
思い切ってバッサリ捨ててしまう。そうすることで、作品の切れ味が鋭くなるはずです。私はいつも、そうしています。
■佳作「ダンスの神様」福井雅
小説を因数分解するのは野暮なことだけれど、応募にあたってヒントになれば。
まず、アイデアを捕まえます。アイデアの種をメモしておいて、いくつかの中から作品にするものを選ぶ。映像が浮かぶものがいいかもしれません。『ダンスの神様』では、「ダンスの下手な私が、うまいあの人に勝つ方法」が起点になりました。
短い話なので、アイデアだけだと無機質になりがち。流派は分かれるけれど、読者の感情に響く何らかの「想い」を注ぎたい。読み手の心を動かすには、まず書き手の心が揺れるものを。例えば、あなたの感情のツボにはまる映画のシーン、絵本のフレーズなどをアレンジして織り込む。『ダンスの神様』でこれにあたるのが、「もう、誰も笑わない」。
書きあげたら少し寝かせます。推敲して整えていく時に、ふと降りてくるものがあるかもしれません。「紫ばばあ」は初稿には登場していませんでした。でも、紫ばばあが出てきてくれたおかげで、アイデアがショートショートになった。小説に命が吹きこまれた。
彼女は、22年前から坊ちゃん文学賞に断続的に、でもあきらめずに応募してきたことへのご褒美として、小説の神様が遣わして下さったのではないかと思っています。
■佳作「プリンター」松野志部彦
第16回坊っちゃん文学賞の入選のお知らせを頂いたとき、まず初めに思い浮かんだ言葉は「やってみるもんやな!」でした。もちろん、作品を送ったときには受賞を夢見ていたわけですが、いざ選ばれると「あんな変なお話でいいの?」と少し気後れしてしまいました。それくらい意外なことでした。
僕はお話を考えるとき、ひとつの思いつきを膨らませて書く場合がほとんどです。たとえば「印刷機を眺める少年」という映像を思いついたら、その周辺にあるものをどんどん空想していきます。「なぜ少年は印刷機を眺めているのか?」「印刷機はなにを印刷しているのか?」という具合に。
結果、自分でもよくわからない、変なものが頭のなかに出来上がったりします。人に話してみても「ふ-ん、よかったね」と聞き流されるような代物ばかりです。(というか、空想なんて聞いてもらえないのが普通です)
しかし、その変なものを文字に起こし、物語の形にしてみると、耳を傾けてくれたり面白がってくれたりする人もちらほら現れるようです。
どんなに変なアイデアでも、存外「やってみるもん」かもしれませんね。
■佳作「レトルト彼」霜月透子
この度は書いた作品がたくさんの方の目に触れる機会をいただき、ありがとうございます。お読みくださったみなさまに心よりお礼申し上げます。
受賞に際しては、喜びと同じくらい戸惑いもありました。まだショートショートとはなにかよくわからないからです。ただ短い話というわけではなく、かといって必ずしもオチが必要なわけでもない。不思議であればいいのかといえば、それもまた不十分な気がします。
そんな中、私にとってしっくりきたのは田丸先生のある言葉でした。童話とショートショートは近しいとのこと。以降、私は「大人の童話」のつもりで書いています。
読んだときにどんな気分になってほしいか、そのためにはどんな要素が必要か。そのような順に考え始めます。状況やアイテムや人物。そういった二つ以上の要素の組み合わせが現実世界での関係とは異なるところにおもしろさがあり、その要素のズレ具合もまた重要な役割を果たすと感じています。
いまは、魅力的な違和感のある「大人の童話」が私にとってのショートショートです。けれども、きっとまだまだショートショートってなんだろうと考え続けるのだと思います。楽しく悩みつつ書いていきたいと思います。