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第17回 坊っちゃん文学賞

「ショートショートは誰しもにチャンスがある」田丸雅智氏+白濱亜嵐氏 特別対談【前編】

第17回坊っちゃん文学賞の審査員長 田丸雅智氏とアンバサダーをつとめる白濱亜嵐氏。ともに松山市出身で6歳違いのお二人は、若くしてそれぞれの分野で大きくご活躍されています。そんなご両者に、故郷の思い出や魅力、そして、松山市が主催する坊っちゃん文学賞への思いについて語っていただきました。さらに、お二人の共作ショートショートの公開も!? 対談の模様は、前後編に分けてお届けします。

*本対談は、Zoomを使用してオンラインで実施しています。

坊っちゃん文学賞事務局(以下 事務局):本日はよろしくお願いします。お二人がお話しされるのは2月14日に松山市で開催された第16回坊っちゃん文学賞の授賞式でお会いして以来のことですよね?

田丸:そうですね。あれ以来、三ヶ月以上ぶりですね。

白濱:ご無沙汰しています。でも、僕はその間に田丸さんが特集された「情熱大陸」を観ましたよ。とても面白かったです!

田丸:ありがとうございます! すごく嬉しいです(笑)。

事務局:本日は、お二人に故郷・松山市の思い出や坊っちゃん文学賞についてお話しいただきたいと思っているのですが、まずは改めての自己紹介を兼ねて、ご自身と松山市のつながりをそれぞれお話しいただけますでしょうか。

田丸:僕は高校を卒業して上京するまでの18年間、松山で育ちました。生まれは道後の近くでしたが、育った街は西部にある三津浜地区です。三津に仕事場があった祖父母のところに預けられることが多かったんですね。だからわりと、自分の作品には、三津を舞台にしたものが少なくありません。

白濱:自分は高校一年生の夏までの15,6年間を松山で過ごしました。小学校2年生までは、街の中心部にある一学年一クラスしかないような小さな学校に通っていました。その後、引っ越しをして、郊外にある小学校に転校したんです。そうしたら、一学年5,6クラスもあって驚いたのを覚えています。高校の途中で上京したきっかけは、EXPG STUDIOの松山校に通っていたときに劇団EXILEのオーディションに合格したことでした。

田丸:僕たちは年齢もそこまで離れていないですし、比較的近い地域に暮らしていた時期もあるので、もしかしたら当時、どこかですれ違っていた可能性もゼロではないですよね(笑)。

白濱:たしかにそうですね(笑)。

事務局:面白いですね(笑)。お二人はここ数年だと、どのくらいのペースで松山に帰省されているんですか?

田丸:ここ数年は、ワークショップやイベントなどのお仕事で松山に呼んでいただくことが増えているので、3ヶ月に2回ほどのペースで帰っています。

白濱:僕は年に2,3回くらいですかね。お正月はプライベートで帰ります。あとは、LDHがスポンサーをさせてもらっているFC今治の案件で帰る機会も多いです。そのときは、松山空港からそのまま今治に行って仕事をして、その後、松山に帰ってくるみたいな感じですね。

田丸:松山でライブをされたりすることはあるんですか?

白濱:松山で最後にライブをしたのは2016年です。まだアリーナツアーで全国を回っていた頃で、松山では、坊っちゃんスタジアムの横にある愛媛県武道館でやりました。スタジアム以外ではおそらく愛媛で一番大きな会場だと思います。それ以外にも、松山市民会館でもライブをしていますし、もっと前のバス一台で日本中を巡っていた時代には、大街道商店街に特設ステージを組んだこともありました。

田丸:そういう時代もあったんですね。

白濱:市外ですけど、エミフル(愛媛県伊予郡松前町にあるショッピングセンター)でライブしたこともあります。2011年頃ですね。

田丸:へえー!

白濱:実は、僕が初めてステージに立ったのもエミフルだったんです。EXPG生時代に。中学3年生の頃ですね。

田丸:じゃあとても思い出深い場所ですね。

白濱:そうですね。スクール生のみんなと一緒にEXILEの曲を踊っていました。

事務局:少年時代に過ごした松山と、現在の松山で変化を感じることはありますか?

田丸:僕が小学校に上がる頃まで住んでいた地域でいうと、昔は田んぼや畑、雑木林、畦道がいっぱいあって、小さなカエルやトンボ、タニシなんかを捕まえて遊んだりしていたんですけど、いまはそれがまったくと言っていいほど無くなってしまって。寂しく感じるところはあります。あるいは、育ちの街の三津は、かつて漁師町として栄えていたものの、年を経るごとに漁師さんの数もめっきり減ってしまって……魚売りのおばあちゃんがリアカーを引く光景も目にすることがなくなってしまいました。ただ、一方で、町としてののんびり穏やかな気風は昔から変わっていないじゃないかなと思います。白濱さんはどうですか?

白濱:そうですね。なんか、松山ちょっと丸くなったんじゃないかって気がします(笑)。ヤンキーみたいな人が昔はすごく多かったじゃないですか。いま、街中に行っても健全な子たちしかいないなって、毎回帰るたびに感じますね。

田丸:たしかに。昔は、ゲーセンとかで絡まれましたもん(笑)。

白濱:ありました、ありました(笑)。あと、変わっていないところでいうと、松山駅はずっと昔のままですよね。いまだに、駅員さんが切符を切ってくれますし。電車の発車時刻の間隔もかなり長い。そういうところはいいところだなと思います。

田丸:路面電車もずっと昔から変わらないですよね。あれは落ち着きます。ゴトゴト鳴っているのは。

白濱:僕はああいう風景が当たり前だと思って育ってきたので、上京して路面電車が無いことにびっくりしましたし、逆に、広島に行ったときには、路面電車が走っているのを見てとても嬉しかったです。松山みたいだなって。路面電車って穏やかな街の象徴のようですよね。

田丸:よくわかります(笑)。

事務局:お二人それぞれ、個人的にお気に入りの場所、帰省したときに寄るようにしている場所はあったりしますか?

田丸:僕は何ヶ所かあって。一つは、梅津寺っていう−−

白濱:ああ! あの閉園した遊園地! 梅津寺パーク!

田丸:そう(笑)。あの遊園地のあったところです(笑)。白濱さんが松山にいらっしゃったときはまだ遊園地は営業していました?

白濱:やっていました。僕、ジェットコースターよく乗っていましたもん。

田丸:当時は、遊園地兼海水浴場だったんですよね。僕は三津浜中学校に通っていたので、遠足も梅津寺でしたし、いまでも実家に帰って海が見たくなると、梅津寺に行って一人で海を眺めたりします。あとは、食べ物系でいうと、一つは「ラーメンショップ」というお店。チェーン店なんですけど、お店ごとに味が違うという(笑)。僕は自分のお気に入りのお店があります。

白濱:看板に「うまい」って書いてあるお店ですよね(笑)。知っています。

田丸:食べ物系では、ほかに「かつれつ亭」。それから、「祇園」というお好み焼き屋さんは、小さい頃からいまに至るまでずっと通っています。

白濱:そこもよく知っています(笑)。じゃあ、次は、僕のお気に入りの場所を。まずは、北条地区のふわり海岸。昔、親によく連れて行ってもらっていました。デビューしてからも、懐かしい場所を振り返るという企画で撮影に行きましたね。あとは、鹿島という島。名前のとおり鹿が生息している島で、海水浴場やキャンプ場、バーベキュー場もあるすごく雰囲気のいい場所です。

田丸:鹿島は、僕も遠足で行きましたよ、船に乗って。本当にいい島ですよね。

事務局:そして、松山と言えば、俳句。俳句の宿題や俳句ポストの思い出についてお話しいただけますでしょうか。

白濱:松山で俳句はマストですからね(笑)。

田丸:絶対にみんなが経験しますからね。白濱さんのときも宿題でありました?

白濱:ありました。春夏秋冬ぜんぶ宿題でありました(笑)。

田丸:そうですよね(笑)。あと、受賞作が銀天街の目立つ場所に張り出される俳句のコンクールがあって。強制的に応募させられていました(笑)。僕の場合は、俳句に親しみがあった反面、最初どうしたらいいのかなかなかわからなかったので、

「ミンミンミン セミがミンミン 鳴いている」

といったふざけた俳句を書いたりして(笑)。いまそんなことを書いたら作家としてダメダメですけど、俳句は当時からそうやってふざけられるくらい身近な存在だったとも言えますね。

白濱:(笑)。僕は、街中に設置されている俳句ポストに、観光客の方が投函している姿をたびたび目にすることがあって。それがとても印象的でした。もちろん、僕自身にとっても俳句は本当に身近なものです。俳句って自由ななかで季語や五七五といったルールがあるじゃないですか。だけど、僕は自分で作るときはけっこうはみ出しもので……季語や語数をまったく意識せず勝手に自由に作っていた記憶があります(笑)。

事務局:そんな松山で育ってきたお二人ですが、ご自身のなかに感じる松山の影響として、ご自覚されていることはありますか?

田丸:やっぱり穏やかな気風を受け継いでいる部分はあるかもしれませんし、あとは、俳句が身近であったのと同時に、夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台になった街でもあるということで、文学や小説にも自然と親しみ深くなっていったような気がします。とくに僕の母校である松山東高校は、正岡子規や大江健三郎さんも在籍していたところでもあるので、その影響はより強かったかもしれません。そして、もっというと「ことば」ですね。松山って、街中に俳句や全国から寄せられたことばが溢れているんですけど、全然うるさくないというか、街に馴染んでいる感じがして。たぶんそういう土地柄が自分のなかでも育まれて、ことばを生業にする作家になっていったのかなって思います。

白濱:僕は、愛媛、松山ののんびりしているところが、すごく今の自分に生きているなと思います。焦ってしまいそうな状況においても、どこか冷静でいられるのは、松山で育ったおかげなのかなと。あと、僕はすごく歴史に興味があるんですけど、それも街中で歴史を感じられる松山の影響があるような気がします。たとえば、子規堂という正岡子規が17歳まで暮らした家を模して建てられた建物が僕はすごく好きで。

田丸:いいですね! 夏目漱石が下宿していた愚陀佛庵も行かれました? 2010年に土砂崩れで全壊してしまいましたが。

白濱:本当に残念でした。愚陀佛庵は、友達と「チャリで行こうぜ!」っていうくらい身近な存在だったので(笑)。縁側に腰掛けることができたんですよね。そういう歴史を感じられる場所が街の至るところにあったことが、いまの自分の歴史好きにつながっているんだと思います。

田丸:白濱さんは歴史のなかでもとくにどの国のどんな時代に興味があるんですか?

白濱:日本の歴史にすごく興味があって。もともとは新撰組がすごく好きで、新撰組の十番隊隊長の原田左之助が、伊予松山藩出身で槍の名手だったとか、いろいろ調べていて(笑)。そこから広がっていった感じです。

田丸:じゃあ、いろいろな時代がお好き?

白濱:安土桃山から幕末、明治の前半くらいまでがすごく好きです。

田丸:松山といえば、秋山兄弟とかも。

白濱:大好きです。『坂の上の雲』も読みました。良すぎて、ドラマがまだ観られていないんですよね。なんかちょっと悔しいというか……自分が演じたかったって思うくらいで。やっぱり地元の作品で演じたいという気持ちは強いですから。

田丸:そういう視点は白濱さんならではですよね。僕は、恥ずかしながら、昔は本を読むのが苦手で。『坂の上の雲』は高校の頃の朝読で挑戦したものの、2巻の最初で挫折してしまって(笑)。

白濱:すごく長いんですよね(笑)。

田丸:文庫本で全8巻ですからね。だけど、この数年で、再挑戦したらものすごく面白くて。第3巻で子規が亡くなる場面を読んだときはテンションガタ落ちでしたけど、最後まで一気に読んでしまいましたね。

事務局:松山市には、「坂の上の雲まちづくり部」という部署もありますからね。では、前半はここまでで、続く後編では、歴史や文学にゆかりの深い松山市が主催する坊っちゃん文学賞についてお話をお伺いしたいと思います。

<【後編】に続く>

(2020.5.29 Zoomにて)

田丸 雅智

1987年、愛媛県松山市生まれ。松山東高等学校、東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年、『物語のルミナリエ』に「桜」が掲載され作家デビュー。12年、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。「海酒」は、ピース・又吉直樹氏主演により短編映画化され、カンヌ国際映画祭などで上映された。坊っちゃん文学賞などにおいて審査員長を務め、また、全国各地でショートショートの書き方講座を開催するなど、現代ショートショートの旗手として幅広く活動している。書き方講座の内容は、2020年度から使用される小学4年生の国語教科書(教育出版)に採用。17年には400字作品の投稿サイト「ショートショートガーデン」を立ち上げ、さらなる普及に努めている。著書に『海色の壜』『おとぎカンパニー』など多数。メディア出演に情熱大陸、SWITCHインタビュー達人達など多数。<田丸雅智 公式サイト>


白濱 亜嵐

1993年8月4日生まれ、愛媛県松山市出身。GENERATIONS from EXILE TRIBEのパフォーマー。同グループでリーダーを務める傍ら、2014年4月にEXILE新メンバーとして加入。俳優としては映画『ひるなかの流星』『貴族降臨 -PRINCE OF LEGEND-』などに出演。また映画『コンフィデンスマンJP プリンセス編』『10万分の1』の公開が控えている。


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